2005年 08月 03日
かつて、『ニューロDECK』というシナリオ集を出したときに、遊び方がわからないと言われたことがあった。自分としては、実にプレイしやすいシナリオ集を心がけただけに、ショックも大きかったのを覚えている。色々と思うところもあるが、素直に聞き入れ、今度のコミケで頒布するシナリオは、SSS形式に完全に準拠し、イベントを読み上げるだけで誰でもRLができるように心がけてみた(実際にそうであるかどうかは別として)。 だが何故、シナリオの読み方がわからない、遊び方がわからない、プレイできないという感想を、読者は抱いていたのであろうか? NPCの行動指針をあれほど詳細に記述しているのに? そんな疑問が、本日、2chの『扶桑武侠傳』スレを読んでいて、突然氷解した。 『扶桑武侠傳』のサンプルシナリオというと、遊び方がわからないという批判が強い。実際、私が遊んだときは、ハンドアウトをGMが用意してくれたので、事なきを得たのだが。 しかし、私が読むと、いくつかの問題は感じつつも、概ね、プレイに支障があるようには思えない。実際、私がGMするとすれば、ハンドアウト無しでプレイするだろう。 では、スレを読んで、どのように氷解したのか? 実際の書き込みを引用してみよう。 617 :NPCさん :2005/08/01(月) 16:55:07 ID:??? ああなるほど、シナリオの読み方と言うよりも、こういうタイプのシナリオの遊び方がそもそもわからないから、シナリオの読み方も想像がつかないんだろう。 自分は、「NPCの行動指針があればマスターできる人種」だ。逆に、NPCの行動指針がないシナリオは、プレイしていて辛いことが多い。特に、NPCの行動指針がはっきりしていないFEAR系のシナリオは、動かしづらいと思うことが度々ある。行動指針がはっきりしないので、とりあえずシナリオ通りにイベントを読み上げるのだが、どうにもイベントがキャストの言動にマッチせず、ちぐはぐになってしまうからだ。巧く回すには、そのシーンで渡すべき情報を見極め、相当程度シーンに手を入れる必要がある(ことが多い)。ほかのシーンで情報を渡せばいいやとか思っていると、その情報が以降のシーンのトリガーになっていることも多く、なかなか気が抜けないのだ(苦笑)。 じゃあ、「NPCの行動指針があればマスターできる人種」ってのは、どういう思考パターンの持ち主かと言えば、「NPCをGMが操る駒のひとつだと割り切っている人種」である。それは、将棋のように、NPCをひとつひとつの駒に見立て、限定された舞台(よくありがちなのが、館や離れ小島のような閉鎖空間、あるいは、『扶桑武侠傳』サンプルシナリオのように道中が限定された旅行行程)を将棋盤に見立て、将棋盤にNPCを適宜配置して、ゲームをデザイン・プレイしていく感覚だ。ストーリーの筋を追いかけていくのではなく、ストーリーを組み立てていく感覚に近い。こういうシナリオの場合、概ね、重要NPCの数が多く(3人から5人。いわゆるFEAR系だと、キーNPCは多くて3人。大抵は敵ひとり味方ヒロインひとりのふたりだ)、NPCにはそれぞれの立場があって、その立ち位置、味方になるか敵になるか、重要度の有無は、PCの振る舞いで幾らでも変化する。舞台は、そんなNPCが入れ替わり立ち替わり登場退場する限定空間で、村や離れ小島、館、城塞都市などが好まれるだろう。公開されている自作シナリオで言えば、「猿婿」「人魚姫」「モンテギュールの翼」「stella」などが該当するだろう。PCたちは、NPCたちとの対話を通じ、NPC間PC間の対立構造・コンフリクトに気づき、この問題をどう解決しようかと、PLレベルで頭を悩ませることになる。この、「PLレベルで頭を悩ませる」ことがシナリオのポイントであり、PCたちのそれまでの行動で「どのNPCが味方になってどのNPCが敵になるか?」が決まり、PCたちの責任ある行動の結果が、そのシナリオでシナリオ打開に有効に使える交渉材料になることになる。 あるいは、GMが、自身が「NPCのPLである」という感覚でプレイする。この場合、ひとりのNPCとPCたちとが、じっくり向き合って対話を進め、GMは、NPCの心情を、PC立ちとの対話を通して変化させていくことになる。こういうタイプだと、重要NPCはひとりに限定され、NPCとPCたちとがずっと一緒に行動することに不自然がないシチュエーションを設定することになるだろう。今回の『扶桑武侠傳』サンプルシナリオのような旅物がその代表だ。拙作「鶴の恩返し」も、このタイプに分類される。あるいは、エレベーターやダンジョンの一室といった密閉空間に事故で閉じこめられるという舞台設定も面白いだろう。こういうタイプのシナリオでは、GM操る重要NPCは、明示暗示でNPCが抱えている問題を切にPCに訴えかけ、PCたちは、この問題にどのように向き合うか、それぞれの決断が迫られることになるだろう。その決断こそが、シナリオのコンフリクトとなる。 どちらにしても共通することは、NPCとPCとの対話を重視し、対話を通じてシナリオのコンフリクトをPLたちに理解させ、その解決をPC・PLに促すことだろう。つまり、こういうタイプのシナリオでは、「いかにシナリオのコンフリクトをPLに理解させるか?」「コンフリクト解決のやる気を如何にPLに抱かせるか?」が、シナリオ成功の鍵となり、GMは、そのためにもその手腕を駆使することになる。 そして、はっきりと言えば、「コンフリクトの解決方法」なんて、GMにとってはぶっちゃけどうでもいいわけで、重要なのは、「コンフリクトの解決に立ち向かうことをPLが決断」し、「コンフリクト解決につき、その手段を採用することをPCが決断」することである。それはつまり、それだけ、そのシナリオ、そのコンフリクトの解決に、PLがのめり込んだ証拠となるからだ。そこまでPLがシチュエーションにのめり込んだセッションであれば、どのような解決を迎えようが、盛り上がらないはずがない。これこそが、こういうタイプのシナリオをつくるGMさんの信念であり、哲学だ。 こういう仕組みのシナリオに対し、最近のFEAR形式のシナリオ……いわゆる、SSS形式と呼称できるであろうシナリオ群は、ストーリー的盛り上がりを重視する。オープニングがあって、ドラマがあって、対立があって、勝利がある。微かな余韻を残したまま、物語はエンディングロールを迎える。ハリウッドも採用するストーリーの基本的枠組みスリーアクトストラクチャー(物語ははじまり、展開し、対決を経て、終局する)を忠実になぞった結果である。これはまた、最近のFEARが採用しているフェイズ概念にもぴたりと一致するであろう(オープニング→ミドル→クライマックス→エンディング)。こういうシナリオでは、出されたコンフリクトは解決されなければならない。シンプルな民話類型にあやかって言えば、王子は流離し、王女と出会い、王女は悪漢に苦しめられ、王子は強大な悪漢を退け、大団円のなか物語は幕を閉じるべきだ。 もちろん、実際のハリウッドも、様々な物語類型を採用しており、ここに描いたような典型的な「大団円で終わる勧善懲悪もの」ではないケースも多いのだが、主人公たちが直面した問題点を、いかに退けて解決するか、その、鮮やかな解決方法に焦点が向けられることになる。だからこそ、敵は強大でなければならず、クライマックスの戦闘は熾烈を極めるべきである(解決すべき問題は困難であるほど解決したときのカタルシスは大きい)。 こういうタイプのシナリオでは、PLを迷わせてはいけない。GMは常にPLに語り続けなければならない。君たちのPCは英雄だ。魔王を倒す英雄だ。観ろ、民衆は虐げられ、救いを待っている。民衆をかばうヒロインはその細腕で健気に立ち振る舞うが、そのヒロインにすら、悪漢魔王の魔の手は伸びている。もう時間はない、立ち上がれ、正義をいまこそ示すべきときだ。君たちしかいないのだ。君たちしか魔王は倒せない。君たちこそが魔王を倒せる英雄だ。もちろん敵は強大だ。君は負けるかもしれない。だが、ここで膝を屈するか? いや、できまい。なぜなら君たちは英雄だからだ。さあ立ち上がれ、剣をとれ、敵を討ち滅ぼすのだ!! ……などと、延々、各種イベントを通じ、GMはPLたちに語り続けなければならないのだ。ここで伝えなければならないことは「味方が虐げられている」「敵は確かに強大だ」「だが、君たちにしか、この問題を解決できないのだ」ということにつきる(もちろんそこに、ロマンスや甘酸っぱい青春や、家族愛や、その他諸々エピソードが差し挟まれるのだが)。 大切なのは饒舌に語り続けることであり、そのためにはイベントをテキストに書き出して、流ちょうに読み上げる必要がある。それはさながら、一本道シナリオ吟遊詩人マスターと揶揄される姿に映るかもしれないが、どっちにしても、その語りでPL立ちを酔わせて、自分のPCが英雄だ、自分たちが問題を解決するんだと、盛り上がれば、一本道だろうが何だろうが、セッションは成功に終わるだろう。 つまり、両方のタイプのシナリオは、そもそも、力点の置き方が根本的に違うし、そのための記述方法が根本的に異なる。したがって、GMが重視すべきポイントも当然のように異なるのだ。 SSS形式に重要なのは、モチベーションを作り上げる詳細なイベント描写であろうが、もう一方の形式にとって重要なのは、モチベーションを作り上げるNPCとの濃密な対話だ。どちらもPLのモチベーションを作り上げることを重視するが、その力点の置き方は根本的に異なる。 確かに、SSS形式の場合もイベント描写のヴァリエーションのひとつとして対話が設けられることがあるだろうが、それはどちらかと言えば、ヒロインの苦難を伝え、敵の強大さを指し示し、PCが英雄であることを証明するための、シンプルでスタイリッシュで熱くクールなやりとりだ。 もう一方の形式(以下、葛藤形式シナリオと呼称する)は、そうではなく、もっと泥臭い、お互いの傷をえぐり合うような、見ているだけで痛々しい、人間関係の縮図、人間の醜さがあらわになるような、生々しいやりとりこそ、「モチベーションを作り上げるNPCとの濃密な対話」であると定義される。そこまでやって初めて、このシナリオで解決すべき、ドウしようもない困難なコンフリクトが提示される。倒すべき敵が存在しない、敵を倒したところで到底大団円とは言えない、人間関係を発端とした、ほつれた問題が提示される。そんな解決不可能なシチュエーションの中、各人がどういう苦渋の決断をするか? あるいは、誰も思いつかなかったような鮮やかな和解手段を思いつくか? それは見ていて痛々しい、ときに不愉快な決断を問うことにもなるだろう。まさに人間力を問うシナリオだ。カタルシスはない。あるのは、やり遂げた疲労感。それを心地よく感じるか不快に思うかは、その人次第。 なんとなく、両者の違いを認識できたであろうか? では、葛藤形式シナリオの遊び方、具体的なマスタリングテクニックについて言及しよう。 先に言及したとおり、つまるところ、マスタリングは、「いかにシナリオのコンフリクトをPLに理解させるか?」「コンフリクト解決のやる気を如何にPLに抱かせるか?」「その際、PCがどのような態度をNPCに取ったかで、以後にPCがとれる選択肢が変化する」の三点に集約される。つまり、この三点を意識してプレイすれば、セッションは、まず概ね成功することになるだろう。 NPCの悩みを、明示暗示で提示する。「例えば」と話を振る。下働きや近所の人間からNPCのうわさ話を聞かせる。ぶっちゃけ、悩みをうち明ける。 その際、一方的に話を振るのではなく(実際に、それではNPCの愚痴を延々聞き続けることにしかならない)、「貴方はどうなのですか?」と、話を振る。そこで、PCの悩みを聞き出せればしめたもの。PCNPC間で、他人に話せない悩みを共有することになり、強い連帯感が生まれる。別に難しいことではない。“GMは、”PCの設定をPLの口から予め聞いているのだ。ならば、そのPCの設定を活かし、まさにPCが抱えている問題に突き当たる質問を振れば良い。帝国を憎く思うPCがいれば帝国の現状について話題を振り、肉親を失ったPCがいれば兄弟愛や家族愛について話題を振り、強さに拘るPCがいれば戦場での心構えを問い、恋人を失い失意のPCにはかつて死んだ恋人と貴方は似ていますと話を振れば良いのだ。躊躇うことはない、傷口をえぐれ。痛い痛いとPCに叫ばせろ。それが、設定を活かすということだ。これは、因縁と言ったPCの内面を表現するルールがある天羅といったゲームの場合、特に楽だろう。なにせ、PCシートに、大きく、「ここをえぐってください」と書いてあるのだ。もちろん、ここでは、GMはPCに合わせて、NPCからの問いかけを変えていかなければならないという負担がある。その面倒を回避するために編み出されたのが、天羅零で導入された宿命だろう。宿命は、アクト開始時に渡される、シナリオにマッチするよう特化した因縁であるからだ。だが、宿命を使わずとも、PCシートをよく見れば切り口が見えてくるのであり、「たとえ話」や「穏やかな日常会話(のつもり)」「相手を知るために振ってみた話がたまたま傷口をえぐる話だった」といった手腕を駆使すれば、幾らでも対応が可能なのだ。どうしても難しいと思うなら、そのセッションでは、その因縁を持つサンプルキャラを禁止にすればよい。その旨伝えた上で、PLが改善案をアドヴァイスしたらまた、考えればよい。そうやって、アクト前、アクト中、常にプレイングを刷新しているスタイルを忘れないことだ。 その際、重要なことは、決して、PLを馬鹿にしない。この点につきる。 PCだったら幾ら罵倒しても良い。もうそうだ。ヒロインが涙目になりながら「この馬鹿!」「鈍感!」「意気地なし。貴方にそんなことができて?」と言われるのは、ある種快感ですらあるだろう。 だが、そういう言葉をPLに投げかけてはいけない。その発言すべてを真摯に聞き入れる態度が必要だろう。その上でどうしても承伏できないのであれば、その旨を素直に告げ、改善案など、PLの知恵を拝借する態度を忘れてはいけない。PLを填めようとか、罠に掛けようとか、そういうくだらないことは考えない。ぶっちゃけ、PLのオナニーを認める。絶対に間違ってもPL発言を逆手にとって「ええー。君がやりたいこと認めたんじゃない。ニヤニヤ」なんてことは言わない。それは、最低のGMがやることだ。そのGMには、決定的にPLを楽しませようという態度が足りない。例えその裁定が公平であったとしても、そんな不愉快な態度を取るGMは、人間として人格を疑うべきだ。 『扶桑武侠傳』サンプルシナリオで伝えるべきことは、「ヒロインの正体」と「ヒロインが抱えているわだかまり」だ。彼女は、弱いヒロインを演技している。ならば、その演技の中で、自身の心情を吐露すればよい。なに? 暗殺者というヒロインの設定を考えると、リアルリアリティがない? 気にするな、これは武侠ものだ。PLは、ヒントが与えられなければそもそも、気が付けないものだ。勘を働かせるには、目線の動きと言った意識下の情報が決定的に足りない。それで気づけという方が無理な話だ。だから、ヒロインからばんばん話しかけるべきなのだ。 まあ(そんなことはないと思うのだが)シナリオライターは、さらに上を考えていて、ヒロインがしゃしゃり出ると、PC間の会話が促進しないと考えているのかもしれない。あるいは、シナリオライター自身は、ヒロインをしゃべらせないでPC間の会話を促進する方法を知っているのかもしれない。……じゃあ、どうするか? 宿の親父といったエキストラに、ヒロインの心情ストライクな話を振らせるという方法があるだろう。あるいは、ヒロインの口から、ちょうどPC間で対立しそうな話題を振るというのも手だろう。そうすれば、PC間で勝手に対立して、PC間の会話が促進する。 ここら辺のテクニックってのは、ちょうどTRPG冬の時代に、コンベンションの巧いGMさんづてで伝えられてきたテクニックだっただけに、きちんと技術継承がされていないようだ。今回を機に、気づいた範囲で一部明文化してみたので、各自、精進してもらいたい。 ……実際の火塚のマスタリングが巧いかどうかはさて置きね(苦笑)。
by hiduka
| 2005-08-03 18:10
| TRPG全般
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