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2005年 08月 05日

停滞させちゃいけないシナリオと停滞させなければいけないシナリオ

 SSS形式のシナリオで、ひとつの不文律がある。

 セッションは停滞させちゃいけない。
 セッションはジェットコースターであれ。

 SSS形式のシナリオってのは、いわば、観客が映画の主人公の視点で物語を眺めるようなものだ。主人公は葛藤し、ためらい、挫けるだろうが、映画は停滞しない。それこそ、ジェットコースターのように物語はどんどん進展する。どんな物語教本にも書いてあることだが、観客が停滞するような物語を創作してはいけないのだ。観客を暇させてはいけない。常に、物語は動き続け、観客を暇させてはいけないのだ。だから、ドラマティック、シネマティックを標榜するSSS形式もまた、観客であるPLを暇させてはいけないし、停滞させてはいけない。
 SSS形式のシナリオを、情報収集が自動販売機みたいだとか、シナリオが結末が変化しない一本道でPLが参加する意義がない、シナリオライターのオナニー、などと揶揄する人間も多いが、これはとんでもない勘違いだ。これはすべて、SSS形式のシナリオで成功するための必須の技術だ。ここら辺を揶揄する人間は、単に、SSS形式でちゃんと面白いシナリオをやっていないか、あるいは、ちゃんと面白いシナリオをやっているにもかかわらず自身がそのプレイングを受け入れる準備ができておらず拒絶反応を起こしてセッションを崩壊させてしまった困ったチャンでしかない(頭からこんなセッション面白くないと思いこんでいる人間が遊んで、面白いセッションになるはずがないでしょ?)。どういうシナリオが望ましいかなんて所詮好みの問題であり、それを受け入れないのは自分の偏食を呪うべきであり、シナリオやセッション、プレイスタイルを非難すべき問題ではない。これは、断言しても良い。

※ こう書くと、SSS形式のシナリオの何が面白いんだよ、所詮一本道だろ? と決まって反論をされるわけだが、答えはそこに既にある。「一本道を」楽しむんだ。演劇の俳優が、演技を楽しむように、自身もその一本道を楽しめばよい。それとも君は、「演劇の俳優が、演技を楽しむ」ことを否定するのかしら? それは君の楽しみではないにしても、誰かの楽しみであることは間違いないんだから、君に否定されるいわれはないのだ。もちろん、「TRPGは演劇ではない」と反論したい人種の気持ちはわかるが、だが同時に、「TRPGはゲームである必要もない」のもまた、真理だ。それはさながら、テレビゲームから、ノベルゲームという(もはやゲームと呼ぶことが難しい)ジャンルが生まれてきたのと同じように。ゲームと呼ばれてきたジャンルの中から、ゲームじゃないものが生まれてきたとしても、それを指示する人間は必ず存在する。そして、それを否定する権利は誰にもない。当たり前のことだろう。
 それにそもそも、批判者が思う以上に、SSS形式のシナリオも一本道ではない。多人数で遊ぶ以上、多くの人間の思惑が交差するのだから、当たり前のことだ(もちろん、自由な分岐のダイナミズムというのはなくなるけど)。
 ここら辺は、別の機会に論じます。

 話を戻そう。
 そこでSSS形式はどうするか。
 イベントを読み上げ、情報が自動的に入って来るようにして、どんどんと、PLがゲーム的に悩む要素を削っていく。PCは、正義をどう貫くか、コネの悪事を許すべきか許さぬべきかと、延々悩むロールを続けるにもかかわらず、PLは、ゴールに向かって一直線に突き進む。SSS形式でPLがなすべきことは、PCをストーリーラインに乗せること。PCの仕事は、例えば正義を示すことだったり、ヒロインといちゃつくことだったり、テロに走った古い友人を説得することだったり、死にフラグを立てた戦友をさらに確実に殺すように死にフラグを上乗せすることだったり。
 とにかく、SSS形式のシナリオでは、シーンはテンポ良く、次にどうやって情報を得ようとか、どうやって戦おうとか、そんな些末なことでPLを悩ませてはいけないのだ。そんなことよりも、どうやってフラグを立てようとか、どうやって負けブックを飲もうとか、どんな煮え台詞を吐こうとか、どんな妄言をだだ漏れさせようとか、そういうことを考えることに、PLを悩ませるべきなのだ。
 そして、だからこそ、SSS形式のシナリオには、神業といった、ブレイクスルーシステムがよく似合う。それはつまり、PCにゲーム的に絶対的な状況打開の力を与えておき、PLにロールプレイに注視させる。停滞させないための配慮なのである。

 シンプルに言えば、SSS形式のシナリオは、セッションを停滞させちゃいけないのである。
 そしてその結果が、プレイ時間三時間程度という恩恵。
 ……実際、私自身その恩恵をよく受けておりまして。一日に二~三セッションはざらで、年間200セッションに届くかという阿呆ブりである。

 そこで、最近のSSS形式に慣れたTRPGゲーマーのなかから、必ず勘違いする輩が出てくる。

「プレイ時間を掛けるセッションはそれだけで駄目だ」

 違います。
 あくまでも、この立論は、SSS形式のシナリオを前提にした議論だ。それはさながら、葛藤形式のシナリオでハンドアウトが必要とされないケースが多いからと言って、SSS形式のシナリオにハンドアウトが必要ないというのと同じぐらい、愚考だ(ハンドアウトの要不要については、今回論じるべき話じゃないのでパス)。
 もちろん、こういう反論を喰らう。

「短い方がいいに決まっているじゃないですか?」

 それは、「短い方が良い」という規範意識を持っている人間の台詞だ。もともと、TRPGセッションを一日かけてじっくり遊ぼうと思っている人間に、「短い方が良い」なんて意識はない。それは例えば、いままでテニス観戦は一日かけてじっくり観るものだと思っていたテニスファンが、「来年から、視聴率確保のためにテニスのスピードアップを図るために、テニスの試合をマッチポイント制から時間制に変更します」と言われたときの表情に似ているだろう。確かに、時間制にした方がテニス観戦の視聴率はとれるから、商業的には正しいのではあるが、違和感を感じるファンの心情は、理解できるだろう。その心情まで、間違っていると論破する勇気は、私にはない。

 では、次のように言い直すことはできるのか?

「セッションを停滞させてはいけない」

 実を言えば、これもあくまで、SSS形式のシナリオでのみ、通用する論法である。
 実は、葛藤形式シナリオの場合、逆に、「セッションを停滞させなければならない」のだ。そして、如何にセッションを停滞させるかこそ、セッションの成功の秘訣である(という、敢えて誤解されそうな言い方ができる)。
 つまりどういうことか。葛藤形式シナリオの場合、PLを悩ませなければならないのだ。
 葛藤形式シナリオの仕掛けはシンプルだ。「解決すべき問題がある」「ところがその問題の解決には、対立利益がある」「あるいは、心情的にとても後ろめたい手段を執らなければならない」これにつきる。しかし、とりたてドラマチックな展開があるわけじゃない。こういうシナリオはそもそも、PLに悩んでもらうことに主眼をおいているため、派手な展開ではなく、地味で卑近だが、ボディブローのようにじわじわ効いてくる決断を迫る。それは逆に言えば、PLに感情移入してもらい、本気で悩んでもらわないと、そもそもそのおもしろさが伝わってこないのだ。実際にプレイしてもらわないと感覚が伝わらないだろうが、こういうシナリオの場合、その悩みは、非常にくだらない、なんでそんなことに悩んでいるの? 的な状況が多い。でも、それはその人にとってとても致命的なことであり、身動きがとれない。そこからの打開こそが、PLの目的となる。あるいは、本気で命に関わる致命的なことで、それを打開するためには、同様、命の危機に係わるような決断をしなければならない(システム的にブレイクスルーが保証されていなければ、本気で命に関わる)。どうにも身動きできない状況なのだ。こういうプレイのときに、「じゃあいいや、出たとこ勝負で」と言われダイスを振って「ああ死んだ死んだ」と言われると、非常に興ざめなのだ。くだらないことだからこそ本気で悩んでもらいたいのだし、ブレイクスルーがないからこそその命の危機に打ち震えて欲しいのだ。
 そして、決断するために、生き残るために、本気で、PCNPC間で交渉和解議論妥協を行う。この、「PCNPC間での交渉和解議論妥協」に掛かる時間は、SSS形式的には、とても無駄な時間、セッションが停滞した時間のように思えるが、まさにこれこそが、葛藤形式シナリオの真骨頂であり、SSS形式シナリオがPCのラブシーンや妄言、超人エフェクトこそセッションの真骨頂としてPLたちが頭を使い、一番時間を掛けて演出するのと同様、葛藤形式シナリオでもっともPLたちが頭を使い、一番時間を掛けてプレイングしなければならない場所なのである。

 だからこそ、葛藤形式シナリオでは、「セッションを停滞させなければならない」のである。

 ただし、ここでまた、葛藤形式シナリオのGMのなかで、勘違いする輩が出てくることにも、釘を差しておかねばならない。

 何でもかんでも、「セッションを停滞させなければならない」わけではない。
 あくまで停滞させなければならないのは、PLたちの葛藤であり、そこに至るための謎解きなどではないということだ。あくまで葛藤を楽しんでもらいたいのであれば、葛藤に至る情報は、できうる限り速やかに情報を渡さなければならない。
 私が先日、『扶桑武侠傳』サンプルシナリオで、「彼女が暗殺者「勿忘草」だと気づかれたらシナリオは終わりですので、気づかれないために、あえて、ほとんどロールプレイをせずに、進めたほうがうまくいきます。」という一文を批判したのも、まさにここだ。
 ここら辺を勘違いした瞬間。

「えー。馬鹿だねー。折角情報渡したのに、なんで気づかないかなー。推理力が足りないねー。ニヤニヤ」

 という、超勘違いGMの一丁完成となるわけだ。

 つまり、葛藤形式もまた、SSS形式から学ばねばならないことがあるのだ。例えば、今回言及した、情報の速やかな伝達方法など。
 それは、SSS形式が、(今回は言及しないが)ハンドアウトの柔軟な運営方法を葛藤形式から学ばねばならないのと、同じような理由でだ。

 思い込みこそ、己にとって最大の敵である。
 自分のプレイスタイルが完成したと思ったときこそ、最大の危機である。
 柔軟に、いこう。
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by hiduka | 2005-08-05 16:26 | TRPG全般


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